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院長日誌

  • 恩師 出口敏雄先生

    1月31日、Tucsonでの E. H. Angle Society Meetingに参加中、医局の先輩から Lineがあり、出口先生が永眠されたとの連絡を受け取りました。

     

     

    Angle meeting中に、しかも Tucsonにいる時に、と、Toru先生も私も驚きました。

    Tucsonは、36年前、出口先生と一緒に Tweedの講習会に参加した思い出の場所、そして  Angle学会は、これもまた出口先生に Hohlt先生を紹介して頂いて Applyした学会だからです。

    今回の Angle meetingでは、自分が Long term stability について発表しましたので、「廣〜、ちゃんとやっとるか〜」と、出口先生が聞きに来てくれたような気がしました。

     

    1990年に Tweed courseを受講した時です。

     

    Old Tucson行こう、

     

    Phoenix行こう、と、言ってくださり、当時はナビなんてありませんでしたので、僕が運転手を、出口先生が道案内をしてくれました。

     

    2012年、Angle Midwest meetingに Guestで参加した時の写真です。

     

    Angle meetingの Scientific programは朝 7:00からも昼までですので、午後、一緒にラウンドしました。

     

    Naplesでの Angle meeting、welcome cocktail partyにて

     

     

    今から 41年前、私が松本歯科大学を卒業する頃、橋本先生のもとで FDを勉強するか、それとも矯正専門医を目指すか迷っていましたが、矯正の出口先生はアメリカ帰りで、教授の中には研究面では長けていても臨床が全く出来ない先生が多い中、出口先生はインディアナ大学の大学院を出ていて、臨床も研究もバリバリで、日本の矯正歯科界をリードする存在だと知り、自分が矯正科の医局のドアを叩けば、出口先生から直々に矯正を教わることが出来る、こんなチャンスを逃してはならないと思い、矯正科に入局したのでした。

     

    ちなみに、出口先生は、1964年に東京医科歯科大学を卒業、1973年に大阪大学大学院歯科矯正学課程を修了されたあと、名古屋で 5年ほど GPをされ、そのあと、GPがつまらなかったのか、矯正歯科の必要性を感じたのかはわかりませんが、奥さんと子供さん3人を連れて渡米、Indiana大学 Master courseに入学し、1983年に同カリキュラムを修了されています。

    驚くべきは、当時の GPは物凄い高収入で、生活には何一つ困っていなかった筈なのですが、それを自ら断ち切って、しかもご家族を連れて渡米されたことです。

    今では矯正専門医はたくさんいますが、当時は矯正歯科専門など日本では考えられなかった時代ですから、出口先生の先見性がいかに凄いか、着眼点がいかに凄いか、行動力がいかに凄いか、並の人間にはとても真似の出来る事ではありません。

     

    出口先生は、当時から英語が堪能だったのかと思いきや、出口先生がある日私に話してくれたのは、「当時は英語が出来なかったもんだから、名古屋駅の河合塾に通って英語を勉強したんだよな〜」とのこと。

    その話を聞いたときに、なんで河合塾?と思いましたが、当時は英会話スクールとかも無かったのでしょう。

    Indiana Univ.で出口先生の指導教官であった Dr. Hohltは、Toshioが来たときは英語が全然喋れなかった、と仰っていましたので、まさに命がけで渡米され、大変な苦労をされたのだということがわかります。

     

     

    出口先生が Jarabak Awardを受賞された時の Indiana Univ.での祝賀会

     

    出口先生が Master courseを修了された Indiana Univ.でリンガルについて講演させて頂きました。

    帰りの空港で、先生の奥様から「主人が廣先生の講演にすごい感激していましたよ」との言葉を頂き、ものすごく嬉しかったのを覚えています。

     

     

    私が矯正科に入局してから 3年目、医局の臨床ゼミで自分の治療した症例を発表してから、先生はいつも廣、廣と気にかけて下さり、医局にはたくさん先生が居る中で、お前は他の奴らとレベルが違う、と、私にだけ USC Daugherty courseを受けるように話をつけて下さったり、M-Orth, European Boardなどの試験を受ける機会を与えて下さったり、家庭の事情でお金が無かった私のことを気遣って、タイポドントの講習会を手伝ってくれるかな〜、と呼んで下さったり、大学院が無かった当時、福岡歯科で学位を取らせて下さったり、Dr. Alexanderには “He is my friend”と紹介して下さったり、Indiana大学で Lingualの講演をしてくれと呼んで下さったり、Class III bookを執筆するから Lingualの C/3治療について書いてくれるかな〜、と執筆の機会を下さったり、先生が ABOに提出した Activator Headgearの治療について教えて下さったり、一緒にゴルフに連れて行って下さったり、仲人もして頂きましたし、Tweed courseを一緒に受講したときの思い出や、M-Orthで香港に行ったときの思い出や、EBOで Amsterdamに行った時の思い出や、何度か Angle学会で御一緒させて頂いた時の思い出や、まだまだ先生との思い出はたくさんありますが、2015年、Naplesでの Angle meetingで出口先生は  “Deformation of Clear Aligners”という演台で講演され、午後に私が運転して一緒に食事に出掛けたのが最後の思い出です。

     

    Naples の Tin cityで海を見ながら Lunchを頂きました。

     

    2005年、Amsterdamで EBOを受験、合格した時です。

     

    先生はロンドン、シンガポール、ドバイ、中国などなど、世界中で教授の職に就かれ、業績はあまりにも多くて  1冊の本になるほどですので、とてもここに書ききれるものではありませんが、個人的に凄いなと思うのは、松本歯科大学に来られた際に、地元小学生を対象に数年間、発育研究をされたこと、そしてもう一つは Chin capに関する研究です。

    Chin capはアメリカでは否定的で、日本でも否定する先生が多いですが、私は Chin capの効果を長年のセファロで確認しており、下顎の成長方向を変えることが出来る有効な治療だと考えています。

     

    出口先生 15周年の際に業績集を発刊された際の記念祝賀会

     

    先生の名古屋でのお葬式は平日でしたので、ひろ矯正歯科には 40名近くアポイントが入っていて移動することは不可能でしたので、葬儀にはお伺いすることが出来ませんでした。

    出来れば四十九日までに先生のお宅にお伺いして、仏前で御焼香させて頂きたかったのですが、奥様も体調が優れないとのことで、御遠慮させて頂きました。

    3月15日に予定されていた松本歯科大学矯正同門会は中止となり、「出口先生を偲ぶ会」が塩尻市のホテル中村屋で行われましたので、出席させて頂きました。

     

    故・吉川仁育先生が学位を取得された際の祝賀会にて

     

    自分と西本先生が学位を頂いた時にも祝賀会をしてくださいました

     

    毎年恒例の八方スキー新年会にて

    医局員や歯科衛生士には、研究や臨床だけでなく、こういった息抜きも忘れない先生でした。

     

    出口先生はゴルフが大好きで、毎年医局のゴルフコンペ以外にもプライベートでしょっちゅう誘ってくださいました。

     

    当時の僕のスイングです、、イイ感じですね。

    ジャンボ尾崎に憧れて、Taylor madeの 8°のドライバー、ハイティーで 300Y飛ばしていました。

    当時は上手かったんだけどなあ、、開業してから 20年ブランクがあり、今は下手っぴです。

     

    恒例、医局の同門会・忘年会にて

    出口先生は殆どお酒が飲めませんでしたが、お酌されると、断ること無く付き合ってくれました。

     

    これは第 11回 甲北信越矯正歯科学会の懇親会ですが、当時、最寄りの学会が近畿東海矯正歯科学会だったのですが、長野、山梨、新潟、富山、福井で学会を作ろうと、出口先生が新潟の花田先生、亀田先生を誘って甲北信越矯正歯科学会を設立されました。

     

     

    出口先生が松本歯科大学矯正歯科教授を退官された時の記念式典です。

    この時も寂しかったです。

     

    出口先生には仲人もして頂きました、、2回も(笑)

    「出口先生、もう一回仲人して頂けますか?」と、教授室に行った時、笑って「いいよ」って言ってくれたのを今も鮮明に覚えています。

     

     

    花に囲まれた先生の遺影に供花、合掌したあと、お食事を頂いたのですが、医局にいた先輩から順にマイクで一言、みんな医局員時代のことを淡々と、中には笑いを取ってお話しされる先生も居る中、自分はマイクを持った瞬間、悲しくて言葉が出なくなってしまいました。

    偲ぶ会というのは、あの時はこうでしたよね〜等々、思い出話をするのが普通だと思いますが、今まで 41年間、公私共々たいへんお世話になり、自分にとってはもう一人の親のように私は思っていましたので、先生がお元気だった時のことを思い出すと、涙がどっと溢れて、声が詰まって普通に喋れませんでした。

     

    なんとか頑張って、それでも思っていることの半分くらいしかお話し出来ませんでしたが、自分が今、矯正歯科専門医として活躍出来るのも、海外で活躍出来るのも、今日のメシが食えるのも、出口先生のおかげです。

    人はいつか死ぬ、それはわかっているのですが、本当に悲しいです。

    出口先生、今まで、本当に有り難うございました。

    ゆっくりとお休みください。

     

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