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院長日誌

  • 2025/06/11

    いのち

    皆さんにとって、「親」とは どうゆう存在でしょうか?

    友達/兄弟のように肩を組んで街を歩いている仲良し親子もいれば、親に話す時には敬語を使う人もいます。
    赤ん坊が泣き止まないことにキレて、マンションの窓から子供を投げ捨てて殺してしまう親もいれば、アメリカでは朝御飯の目玉焼きの焼き方が気に入らずに母親と口論になって母親を銃で射殺したという事件もあります。

     

    ゴールデンウイークが始まって間もない日の早朝、携帯が鳴りました。

    こんな時間に誰かな、と、胸騒ぎしつつ携帯を取り上げてみると、発信者は国立病院。

    ん? なんで国立病院? と、不思議に思いつつ出たら、「お母様が心肺停止の状態で搬送されました」とのこと。

    ええっ!!」、大声で叫んでしまいました。

    昨日はあんなに元気だったのに、と思いながら大急ぎで支度をして病院に向かいましたが、着いたときには既に帰らぬ人となっており、病院の廊下のベンチに父がポツンと1人寂しそうに座っていました。

    父のところに行くと、「かあさん、死んでしもたわ」と、小声で言いました。

    父は強いというイメージでしたが、こんな弱々しい父を見たのは初めてでした。

     

    前夜、寝入った後にトイレに起きたらしく、トイレだけにしておけば良かったのに、居間の留守電を見に行って、目眩で倒れてフローリングの床で後頭部を強打、ベッドに戻って寝たそうで、明け方、母の異常に気付いた父が救急車を呼び、救急隊員により救急蘇生をして頂きましたが、既に手遅れで、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

    死因は頭部外傷による急性硬膜外血腫と診断されました。

     

    私は幼い頃から三重県四日市市で育ちました。

    松本歯科大学への入学を機に 18歳から信州で生活するようになり、卒業したら三重に帰って GPで開業するつもりでしたが、卒業が近づくにつれて矯正歯科を勉強したいと思い、卒業後も大学に残って 10年間、矯正歯科と咬合を専門に勉強しました。

    今でこそ矯正歯科専門医はたくさんいますが、当時は矯正専門で開業する歯科医師は殆どいなかった上に、しかも人口 6万人の塩尻市で専門開業すると聞いた医局の先輩達からは、アホだのキチガイだの笑われ、さんざん言われました。

    開業当初は当時の歯科医師会長と専務から信じられないような洗礼を受け、毎日が本当に大変で、自分の事だけで精一杯でしたが、諸々の事情で親を信州に呼びました。

     

    歯医者の中には2世3世で経済的に苦労した事が無い先生もいますが、うちの親は畑違いでしたので、兄と私を学費の高い私立の歯科大学を卒業させるというのは、本当に大変な苦労だったと思います。

    学生時代、私は絵に描いたようなバカ息子で、親の苦労など考えた事もなく、当たり前に大学に行き、当たり前にメシを喰っていましたが、自分で開業してみて、医院を守って行くことがどれだけ大変なことか、家族を養って行く事がどれほど大変なことか知り、親が自分の生活よりも私たち優先にやってくれたことに自然と感謝出来、今日のメシが食えるのも、自分が矯正歯科専門医として活躍出来るのも、海外の学会で講演出来るのも、親が歯を食いしばって歯科大を出してくれたおかげなんだ、親を大切にしなければ、と思うようになりました。

    死んでから100回墓参りしても墓は墓、死んでからアレしてやれば良かった、コレしてやれば良かったと後悔しても遅いので、元気なうちに自分に出来る限りの事はしようと、親が信州に来てから30年間、一緒に出掛け、一緒に食事に行き、一緒に旅行に行き、正月は一緒におせちを食べ、お盆には一緒に伊勢にお墓参りに行き、誕生日にはプレゼントを持って食事に行き、、、自分の事は親が死んでからで良い、親が生きている間は親優先、と、出来る限りのことをしてきたつもりでした。

     

    死んでから、母がつけていた日記が出て来ました。

    親という字は「立木に上って 我が子の帰りを心配して 遠くを見る」と言われますが、私が毎週末、顔を出すのを楽しみに待っていたようで、出張などで2週間3週間行けなかった時、「俊明は今週も来なかった」と、寂しそうに綴ってあるのを読むと悲しくなります。

     

    母は 10年ほど前から水頭症で目眩と頭痛に苦しんでおり、松本市の脳神経外科専門病院では V-Pシャント手術を勧められましたが、母は怖がって手術をせずに市内の脳神経外科開業医と国立病院で経過を観察してきました。

    目眩でしょっちゅう転んで大怪我をしており、日記を読むと、自分が思っていたのよりも遥かに苦しんでいたようで、オレは何をしていたんだと、悔しくて仕方が無いです。

    最終的にはタップテスト、L-Tシャント手術を半ば強制的に受けさせましたが、遅すぎた、何故もっと早く助けてあげられなかったのか、と思います。

     

    母は元気な頃から「ピンコロで逝きたい、人に迷惑かけたくない」といつも言っていましたので、背骨を折ってから急に具合が悪くなり、車椅子を買って持って行ったり、介護トイレを買って持って行ったり、あれこれ世話をするたびに、「こんなことまでして貰って、すまんなあ、すまんなあ」と、泣いてばかりでした。

    GWに逝ってしまったのは、私の仕事に迷惑かけないように気を遣ったのか、いろいろ準備をして、前日には久しぶりに晩御飯を作ったことなど、自分の死期を悟っていたのか、と思わざるを得ません。

     

    元気な頃はゴルフが大好きで、父とあちこち旅行に行き、ゴルフを楽しんでいました。

     

     

    死ぬ直前、デイサービスで散髪をしてもらって、サッパリとした髪型でした。
    嬉しかっただろうな、と思います。

     

     

    地球上の全てのものに始まりがあり、終わりがあります。

    生命も然りで、生きているものは、必ず死にます。

    人それぞれ、育った環境も違えば、親や家族との関係もそれぞれでしょうが、

    「親孝行 したい時には 親はなし」です。

    死んでから後悔することのないように精一杯やっていても、いざ死んでしまったら、あの時アレしてあげれば良かった、コレもしてあげたかった、と、悔やんでも悔やみきれないです。

    皆さん、1日1日を大切に、精一杯生きて下さい。

    親兄弟だけでなく、すべての人に優しく、出来る限りのことをしてあげてください。

     

     

  • 2025/04/27

    焼肉う〜

    みんな疲れたね〜
    何か美味しい物食べに行こうか〜
    何食べたい〜?

    って聞いたら、
    焼肉〜!
    ってことになって、みんなで東山食堂に焼肉を食べに行って来ました〜。

     

    和気あいあい、楽しいお食事会でした

     

    次から次へと運ばれて来る美味しいお肉をおなかいっぱい頂きました

     

    東山と言えば、この煙ですよね!

     

    ふう〜、おなかいっぱい〜

    またやりましょう!

     

     

     

  • 新潟大学歯学部55期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!

    3月24日、新潟市の朱鷺メッセにて、令和6年度 新潟大学卒業式が、ホテルオークラ新潟にて歯学部の謝恩会が行われましたので出席して来ました。

    新潟大学の歯学部は第55期生、50名が新たな歯科医師として羽ばたきました。

     

    全学だと凄い数です。

     

     

    まず最初に、先輩歯科医師として、皆さんに一言メッセージを送らせて頂きます。

     

    先生、ご卒業おめでとうございます!

    皆さんは今まで、○○君、○○ちゃん、と呼ばれていましたが、これからは、○○先生と呼ばれます。世の中には変な先生もいて、みんなから「先生、先生」と持てはやされることで何か勘違いをしていて、物凄く偉そうな態度を取る奴、すぐに人を馬鹿にする奴など。特に、○○長という役職を務める人間の多くは、講演など大勢の人の前では謙虚で紳士的に振る舞うのに、個人対個人で話をすると物凄く傲慢で横柄な傾向があります。皆さんはこんなDoctorにはならないでください。診療でも、診療以外でも、常に相手の気持ちを思い、相手の立場になって行動し、診療に際しては患者さんの言葉をよく聴き、言語としてだけでなく、話し方、表情、姿勢、歩き方などのいろいろな情報をも収集して、患者さんの困っているところを察知し、優しく、適切に対応出来る歯科医師になってください。

     

    それから、もうひとつ。

    この先、いろいろな人に出会います。誰と出会い、どうゆう付き合い方をするか、これは自分の人生に物凄く大きな影響を与えます。その人との出会いが自分の人生に無限にプラスになることもあれば、その人と関わったがために破滅に追い込まれることもあります。あの時アイツに出会わなければこんなになっていなかったんだ、と後で気付いても遅いです。特に気をつけないといけないのが、友達のようにいつも傍にいるが、実はいつもあなたのことを陥れるチャンスを探っている奴です。自分のポジションを維持するために邪魔をする奴もいれば、あなたをグループから孤立させるために噂やデマを流す奴もいます。私はすぐに人を信じるので、こうゆう輩にまんまと騙されて利用さてきました。「負けてイヤなら負けないように努力しろ、人の邪魔をするな」というのが私の信条ですので、そんなことをする人間がこの世に存在することさえ考えもしませんでした。皆さんは、誠実に、真面目に、歯科医師としての自覚と責任を持って、診療していない時も歯科医師であるということを忘れずに生きて下さい。

     

     

    新潟大学の卒業式で驚いたのは、卒業証書を受け取る人達が敬称無しの呼び捨てで呼ばれていたということです。

    普通は「○○△△殿、貴殿は〜」というのがお決まりだと思いますが、全学の卒業式でも、歯学部の懇親会でも、全て呼び捨てでした。

    歯学部の懇親会では、歯学部長の井上誠は、表彰状を渡す際も呼び捨てでしたが、相手は歯科医師国家試験に合格して、晴れて卒業生として参加している歯科医師であるのに、なぜ呼び捨てなのでしょうか。1人だけ殿が付いていたのは、依怙贔屓でしょうか?(井上誠も呼び捨てで書きましたが、これを読んだら井上誠はどんな気がするでしょうか。)

     

    さらに驚いたのは、2024年のOSCE/CBTでは、新潟大学の不手際で学生達が共用試験を受けられなくなるという事件があり、それだけでなく、代替日程を学生達の意向を無視して夏休みに設定したために、学生達が帰省出来なくなりました。夏休みに家族旅行や海外旅行を予定していた人達もたくさんいたそうで、その方達の多くは返金不可で相当な金額をドブに捨てることになったそうで、何人かの学生が抗議したところ、井上誠は旅行代金を弁償すると言ったそうですが、弁償はされたのでしょうか?

     

    この井上誠、謝恩会の挨拶では自らOSCE/CBTの件に触れておきながら、卒業生・ご父兄に対して一言も謝罪の言葉が無し、これには驚きと怒りを覚えました。組織の長というものは、不始末があった際・人様に迷惑をかけた際に、代表として謝罪して責任を取るのが当たり前であるのに、この井上誠は頭も下げない、謝罪もしない。こんなのは歯科医師である前に人間として失格で、こんなのが歯学部長をしていれば、人間的に問題のあるインストラクターが育つのは当たり前だと思いました。

    卒業生の皆さん、もう井上誠からパワハラを受けることもありませんから、集団で損害賠償請求しては如何でしょうか。

     

     

    一般の方は、OSCE/CBTという試験を御存知ないと思いますので、説明させて頂きますと、OSCE/CBTは歯科医師法第11条の1に定められた試験で、この試験に合格しなければ、歯学部の学生は臨床実習に進むことが出来ない、即ち 55期生全員が留年ですので、本件は全国ニュースになっても不思議では無い大事件なのです。ミラーサーバーを置いていなかったのは明らかに大学の落ち度ですし、近隣には日本歯科大学生命歯学部がありますから、対応策はあった筈ですので、最悪の事態を招いた責任を歯学部長である井上誠が取らないのは、あまりにも無責任で、誠意を欠いていると言わざるを得ません。

     

     

     

    歯学部の懇親会・謝恩会

     

    55期生の皆さんです。新潟大学は1クラス、50名です。

    個人的にお話ししたい先生も何人かいましたが、こちらからお声がけするのも気が引けましたので、遠慮させて頂きました。また機会があればお願いします。

     

    女性ドクターは約半数の 23名です。お会い出来るのを楽しみにしていた先生もいたのですが、卒業式をお休みされていたようで、残念でした。

     

     

    先にも書きましたが、○○長、○○会長などは、その団体をより良くすることに尽力するのが責務で有り、何か不祥事があった際には謝罪し、責任を取る立場にある筈です。

    ○○長になったら他の人よりも階級が上になったように勘違いして横柄に振る舞い、自分の出世のためには頭は下げても、人に迷惑をかけた際には頭を下げることは無い。

    学生や他の職員の模範となる立場の歯学部長が挨拶の仕方も知らないようでは、大学の歯学部そのものがダメになると思います。

     

     

     

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