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院長日誌

プライベート

  • 2012/04/19

    HbKにて

    先日送別会を行った旧姓青沼さん&旦那さんが営む美容院 “HbK”に行ってきました。
    旦那さんの響さんは、かなりのセンスと腕前で、うちの丸山さんも川端下君も大変身しました。
    僕はいつもカットだけの安いお店ですが、この日は娘の髪を切って貰うために連れて行きました。
    店内は、青沼さんと旦那さんが自分で壁塗りをしたとのこと。
    何年経っても忘れることの出来ない思い出になる貴重なお店ですね。
     

    玄関ドアはじめ、いろんな調度品はVictorian craftで選んだという、お洒落なお店に仕上がっていました。
     

    お店に着くと、うちのスタッフのmaruさんと山ちゃんも来ており、みんなでワイワイと楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
     


     
    働くということ、自分でお店をやるということは、いろんな責任がついて回りますので、本当に大変です。青沼さんもひろ矯正歯科にいてくれた頃は、本当によくやってくれました。
    楽しいことばかりではなく、時にはメチャンコ厳しく叱ったことも何度かありましたが、最後までキチンとひろ矯正歯科の仕事を全うしてくれました。
     
    旦那さんと2人力を合わせて頑張って、人生を楽しく生きてください。
    中村さん、青沼さん、今後ともよろしくお願いします。
     

  • 2012/02/04

    一陽来復

    毎日毎日仕事に追われ、気がつけば、新年の御挨拶をする時期ではなくなりましたが、本年の皆様の御健康と御多幸を心よりお祈り申し上げます。
     
    いろんな人から、「学会発表すると儲かるの?」、「学会発表って、義務なんですか?」と聞かれます。
    とんでもない、学会発表などしても、一銭にもなりませんし、義務でもありません。
    交通費、宿泊費、学会参加費、全て自腹で、3-4日の学会でも、海外ですと、移動日も含めて1週間は不在になるため、謝礼が貰えないどころか、出費+減収で、本当に苦しいのです。
    しかも、朝から晩まで診療でクタクタになった身体に鞭打ち、毎日、毎日、早朝と深夜に学会の準備を進めなければなりません。
    活字で全てを表現することは出来ませんが、本当に、ほんとうに大変です。
    学会参加というのは名目で、じつは旅行という先生が非常に多いのですが、私の場合、準備だけでも何ヶ月もかかりますので、
    いつも冬には夏の準備をし、夏には冬の準備をするので、真冬に「もう夏だなあ」、真夏に「もう冬だなあ」と独り言を言うと、スタッフも家族も笑いますが、本当にそうなのです。
     
    もう今年で最後にして、来年は休むぞ〜、と、毎年思いますが、でも、ヨーロッパをはじめとするいろんな外国の学会からお呼びがかかると、ぬるま湯に浸かって遊んでいるわけにはいきません。
    自分の手帳には、常に2年半先までカレンダーを作り、来年の学会の予定を書き込み、ひろ矯正歯科の患者さんには迷惑がかからないようにスケジューリングしています。
    年々呼ばれる数も増えてきており、呼ばれた全ての学会に出向くことは不可能ですので、毎年数件〜十数件のオファーを辞退していますが、それでも、今年はフランス、ドイツ等々でレクチャーを、アメリカの学会には複数参加の予定です。
    こうゆう研鑽があるからこそ、ひろ矯正歯科での治療のクオリティをキープすることが出来ていると思います。

     

    今年も、お正月には初詣出を、成人式には牛伏寺を参拝し、厄除けをしてきました。

     

     

    1年、また1年と、年をとる度に月日が流れるのが早くなり、昨年もあっと言う間の1年でした。
    昨年を振り返って、やはり忘れることが出来ないのは、東北大震災です。
    地震の時、私は診療しており、1分近くも大きく横に揺れました。
    最初は地震だとは気付かず、自分の具合が悪くなり、目眩がしているのだと思いましたが、スタッフも皆、床に伏せており、壁に掛けてある絵が大きく動いているのを見て、地震だと気付いた次第です。
    患者さんの一人がワンセグでテレビ中継を写し出し、市原のコンビナートが爆発炎上する映像や、津波でたくさんの車が流されている映像を見せてくれ、言葉を失いました。
    現実の映像だと信じられませんでした。
    私の母校は、学生が全国から集まって来ているため、阪神淡路大震災の際にも被災者はたくさんいましたが、今回の震災でもやはり同級生が被災しました。
    阪神淡路の時と今回の震災が決定的に違う点は、インターネットが普及しており、SNSで複数の同級生と同時に簡単に蜜に連絡がとれる環境が整っていたということです。
    私は被災した同級生が無事であったこと、車や周辺の家は流されて壊滅状態になっているということを知り、SNSで同級生に募金を呼びかけました。
    国まかせの募金は行方不明になるので殆どしませんが、こうゆう場合は違います。
    特に今回は、自分の食を削ってでも行わないといけないと思いましたので、SNSで同級生に募金を呼びかけ、同級生の頭数と被災状況を考えて、一人5万円の寄付を呼びかけました。
    20人で100万、40人で200万、、これでも少ないけど、みんなで集めた金を、代表者が「同級生からだ、使ってくれ」と、直接手渡しするのが良いと思いました。
    みんな賛同してくれると確信しました。
    ところが、実際には、クダラナイ言い訳ばかりで、最後には罵倒、非難の嵐で、電話がかかってきて罵られたりもしました。
    「お前にとっては5万円は僅かかも知れないけど、俺にとっては大金なんだ!」とか、「スタンドプレーもいい加減にしろ」等々。
    もちろん私にとっても、5万円というのは、大変な大金です。
    でも、同級生が被災して、生活に困っている状況が瞼に浮かび、復興にも何年もかかるだろうと思うと、10万、20万の金でなく、もっとまとまった金を送らなければならないと思いました。
    反対する奴らには、「毎週ゴルフに行くのを少し減らせば、5万くらいすぐに出来るんじゃないのか?」、「キャバクラに行くのを少し我慢する、ボトルキープを少し我慢すれば、5万くらい出来るんじゃないのか?」(僕はキャバクラなんて行きませんが)、と繰り返し募金を呼びかけましたが、賛同してくれる同級生はいませんでした。
    5万は大きすぎる、5000円にしろ、とか、やりたい奴が個人的にやればいいだろう、という意見が殆どでした。
    個人的に見舞金を貰っても、自分だったら申し訳なくて受け取れないし、仮に受け取ったとしても、返すことを考えますから、個人的にするのではなく、「同級生一同だ、返す必要はない、使ってくれ! 大変だと思うけど、頑張れよ!」と、一番仲の良かった奴が手渡しするのが良いんだ、と、何度も言いましたが、結局自分の意見は全く通らずでした。
     
    津波で 家族も 家も 何もかも 流された。
    昨日まで一緒に食卓を囲んできた 家族 が死んでしまった。
    中には、お父さんが帰ってこないけど、何処かできっと生きていると信じて、頑張って生きている人もいる。
    自分がそんな状況に置かれたら、悲しくて悲しくて、気が狂ってしまう。
    生きて行くことは絶対に出来ないと思う。
    助かったけど、避難所生活で、食べる物もない人も。
    なのに、6年間苦楽を共にした同級生が苦しんでいるというというのに、ゴルフやキャバクラのほうが大事なのか!
    楽しいときだけ一緒に酒飲んで騒ぐ、そんなの友達じゃない!
    相手が本当に困っている時に、力になってあげる、それが友達ではないのか!
     
    「金、カネ、言うな、金が全てじゃないだろ!」とか、
    「 オレは心配だったから、すぐに携帯で電話した、みんなも電話して励ませばそれでいいじゃないか」
    という者もいました。
    でも、家族の安否もわからない、家族や親戚からの電話を待っているかも知れないという状況で、同級生からジャンジャン電話がかかってきたら、それはいかがなもんでしょうか。
    当時は携帯の充電さえ出来ない状況であったわけですから、それこそ、本当に迷惑な話しではないでしょうか。
    私が間違っているでしょうか?
    私はそうゆうのは嫌いなので、そのSNSは即刻退会しました。
    あとで聞いた話では、結局「個別に対応」だったそうです。
    私は大学の同窓会には二度と行かないつもりです。
     
    人生なんて、いつ何が起こるか、本当にわかりません。
    さっきまで一緒にそこにいた人が、事故に遭って帰らぬ人となってしまうことだってあるのです。
    私はバツイチだということもあり、今の家族が もの凄く大事です。
    何物にも変えられません。
    そして、頭の悪い自分を、借金して私立の歯科大に入れてくれた両親にも、常に感謝の念を忘れたことがありません。
    ですから、1日1日を精一杯生きています。
    だから学会発表も、自分に出来る限り精一杯頑張って、アクセル全開です。
     
    自分は最後で良いんです。
    死んでから、あれをしてあげれば良かった、こんなことしてあげたかった、と後悔しても遅いのです。
    親に感謝もせず、バイク屋のオヤジを尊敬しているなどと、たわけた事を言っているなんて、言語道断です。

    私はいつもスタッフにも 同様に言います。
    自分優先でなくて、いつも患者さんを最優先で行動してくれれば、私は何も文句はない、と。
    私は、スタッフに足を踏まれても、怒ったりはしません。
    しかし、スタッフが患者さんの足を踏んづけて知らん顔しているのは、黙ってみているわけにはいかんです。
    それを言うと逆ギレして辞めて行く人が多いのが現状ですが、自分のことしか考えられない人とは、チームプレーは出来ないというのが私の考えです。
    一生懸命やっても、出来ないのは仕方がないですが、やろうとしない、言うことを無視して勝手なことをする、という人に、うちの大切な患者さんを触って貰いたくない、と思います。
     
    私は自分の人生5箇条、すなわち、
    1, 嘘をつかない、誤魔化さない
    2, 人の邪魔をしない
    3, 相手が誰であろうと、スジの通らないことを許さない
    4, 自分に非がある時はすぐに謝罪するが、悪くない場合は絶対に謝らない
    5, 常に全開で、自分のためではなく、人のために生きる
    を守り、今日も残された人生を毎日精一杯頑張って生きて行きます。
    皆さんも今一度、人生について考えてみてください。
     

    (以下の写真はネットからコピーした物です。生きてゆく上で、忘れてはならないと思います。)
     

     

     

     

     

  • 2010/10/02

    半世紀、反省期

    半世紀といえば、50年です。
    早いものです。
     
    何が? 
    じつは、先日、満50才の誕生日を迎えました。
     
    毎日、若くて美人のスタッフに囲まれて仕事をしているため、年よりも随分若く見られ、今回の日矯学会では、「ひろ先生、30代かと思っていました」などと言われましたが、とうとう50才、半世紀オヤジになりました。
     
    私は、この記念の日を「半世紀」ではなく、「反省期」であると受け止めました。
     
    今まで、いつもストレートに物事を考え、いつもストレートに物を言ってきた50年間。
    曲がったことが大嫌いで、スジの通らないことに関しては「おかしい!」と、相手が歯科医師会長であろうが、学会長であろうが、そんなことは関係無しに、自分の意見を主張してきました。
    それで自分が今後、困難な状況に置かれるだろうということがわかっていても、「おかしい物は、おかしいでしょう!」と、黙っていることが出来ない。
    自分の足を踏まれても、黙って我慢することは出来る。
    でも、人の足を踏んづけて平気で笑っている奴は許せない。
     
    50になって、おくればせながら気付いた事は、おかしい事を おかしいと言っても、おかしい人にはわかって貰えない、それが当然だと思っている人を変えることは出来ない、ということです。
    誰かが言っていました。
    「言ってわかる奴は、言わなくてもわかる。言わなきゃわからん奴は、言ってもわからん」と。
    世の中には、物事を自分の都合の良いようにしか考えない人がいる、おかしい事を平気で押し通す人もいますが、私はそうゆう人間には絶対になりたくないと思います。
     
    自分は何故生かされているか。
    自分のためにではなく、人のために仕事をし、人のために生きている、と、私は考えます。
    (宗教じみた書き方ですが、無宗教です。)
     
    50回目の誕生日、去年に続き、今年もスタッフのみんなが、私の誕生日に色紙に寄せ書きをくれました。
     

     
    みんな、有り難う、、嬉しかったです。
    時には厳しいことも言いますが、いつも感謝しています。
     
    残りの人生は、付き合う人を選び、人間に磨きをかけたいと思います。
    ただ年をとってゆくのではなく、人から憧れられるような年のとり方をしたいと思います。
    それは、金でも、権力でも、名声でもない。
    人間性として内面からにじみ出る渋さでありたいと思います。
     
    まだまだ未熟者ではございますが、これからも御指導の程、よろしくお願いいたします。
     

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